牡蠣座

個展『牡蠣座』、東京 / HIGURE17-15cas

2015年9月20日(日)- 9月27日(日)

 

 

 

———————————————————————————————————————————————————————————— 18世紀イギリスの植物学者であるジョン・ヒルは多くの著書を残していますが、彼の唯一の天文学に関する本『Urania』には、彼が作りそして今は採用されていない、消されてしまった星座がいくつか記されています。 彼の時代はまだ確固とした星座が定まっておらず、諸案が入り乱れていました。そんな中でジョン・ヒルの提案した星座達は蛭、ミミズ、ナメクジといった忌避される生き物や、ツノガイ、カサガイといった地味な貝、また化石として発見された古代種の牡蠣といった、神話のような重厚なストーリーを持たないものばかりをモチーフとしています。 またこれらの星座は、既に周知されているような星座の合間にある5,6等級などの暗い星を繋げて作られており、自分の当てはめたいモチーフを無理矢理隙間に詰めこんだようにも見えます。 それは夜空を大仰な神話で埋め尽くされてしまったことへの皮肉なのか、あるいは、ただ卑近なもので砂場の城を崩してやろうという子供のような悪戯心なのかもしれません。 人は自分達の見たい様に夜空を見てきました。しかし本来そこにあるのはただの星であるに過ぎません。 僕の制作は、色々なモチーフが見える星空から、ただの星、点であるということを見えるようにすることでもあります。 点とは、物事の一番最初の状態、方向の無い状態、最も単純な状態のことであり、僕の制作する作品においては、何かが芸術になる瞬間、芸術と非芸術の境界、意志の最単純な形といった「始点」を目指しています。 しかし作品を作ること、それを発表するというときに、意識的・無意識的についてしまうものが「作為」です。 作品を「良く」見せるために始点以外の要素で作品を覆ってしまうことが「作為」であり、この作為が、作品を始点ではない何かにしてしまうのだと僕は考えています。 そのために僕は制作の際に偶然性を取り入れたり、他者に委ねたり、不自由な素材を使ったりすることで作為を削りとっていくのですが、同時にこうした制作こそが作為なのではないかというジレンマも抱えることになります。 そうして最終的に完成する作品は、作為を否定する作為をさらに否定するというような、入れ子状の作為の否定によって削られた、歪な始点として現れるのです。 夜空に輝く星の中に見出されるものが神話であるにせよ牡蠣であるにせよ、僕の作品がその向こうにある一つの星の輝きが見えるものであればと思います。